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レシピ

AvatarAテレビで1964年の東京五輪のエピソードを取り上げた番組を観た。
いくつかエピソードが紹介されたが、選手村のコックの話が印象的だった。

東京五輪では選手に食事を提供する為に多数のコックが集められた。
日本料理だけでなく参加国の料理も調べて出来るだけ提供するように努めた。
初めて作る料理も多く、大量のレシピが配布された。
これが意外な波紋を呼んだ。

当時の料理人はレシピなど残さない。
料理の作り方は誰も教えてくれない。
つまり先輩から盗め、ということ。
しかし見たことのない料理を多数のコックが作るにはレシピに頼らざるを得ないのだ。

この頃から自分の技術やノウハウを隠す職人気質は段々消えていったようだ。

私がSEになった頃、ベテランSEの中に、自分が担当するシステムの設計書を一切残さない人がいた、
自分の仕事が誰かに取って代わられることを妨害する為だと噂されていた。
設計書が無ければ、そのシステムの保守の為に、担当のベテランSEを確保しなくてはいけなくなる訳だ。
つまり手慣れたポジションを維持し、意に添わぬ転勤を避けることが出来るのだ。
会社から見れば、配置転換できないとか、急病時の対応が出来ないなどのデメリットがある。
結局個人の利益を追求し、会社や同僚の不利益を生んでいるのだ。
最近はそういう人は見かけなくなったけどね。

さて東京五輪に話を戻そう。
以前に紹介した『ベラ・チャスラフスカ(2015.1.9)』から引用しよう。

日本とチャスラフスカは相思相愛で、彼女は、当時世界の頂点にいた日本男子体操、特に遠藤幸雄にあこがれた。
技術的な質問をすると何でもオープンに教えてくれる遠藤の人柄にひかれた。
「なぜ外国人の私にそんなに親切に教えてくれるのか?真似されたら困るんじゃないですか」とベラが聞くと、遠藤は「真似されたら、それを上回る技を編み出せばよい」と答えたという。
ベラはこれを侍の精神と称賛し・・・

この遠藤の言葉は、1964年の日本に存在したであろう理想主義を感じさせる。
その雰囲気はコックたちにも伝染したのかもしれない。

ベラ・チャスラフスカ(2015.1.9)

ここで言う「レシピ」はほぼ「マニュアル」と読み替えることができると思う。

技術が広がるにはマニュアルは不可欠で、高い水準の技術を持ちながら明治維新時に欧米に遅れを取っていたのは、ただ鎖国のせいでなく多くを門外不出とする文化のせいによるものと思う。

先の話によれば維新後も料理界ではその気風は残っていたようだが、必要に迫られてマニュアル化による公開が行われたということだよね。

一方で、職人気質はプロ意識を磨くのには役に立って、体操における遠藤のようにその時点ではそれを公開しても負けはしないという自負を持っていたということだろうか。

最初からマニュアルで育った者が、かってのような矜持を持ち続けることはできるのだろうかいう疑問が頭をもたげなくもないが、もちろん、レベルの高い者はその域に達しているのだろう。

それはさておき、インターネット、youtubeにおける情報の公開などもかっては考えられないことだ。

またスポーツにおけるデータの導入も、かっては一部の頭のいい者が独占していた情報の公開という気がする。
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テーマ : 文明・文化&思想
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spacecowboys A H

Author:spacecowboys A H
Space Cowboys は、2人の親父です
"A" システムエンジニア・
   中日ファン・世情に疎い
"H" 総務畑・てっちゃん・
   阪神ファン・雑学が得意
2人ともイーストウッド好きの還歴男

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