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メキシコ~帰国 =南米1971(14)=

20110409メキシコ国旗 20110409メキシコmap

 メキシコ(Mexico)


サント・ドミンゴに別れを告げて、三日間の予定でメキシコへ向う。

ここには取引先も無ければ、われわれの商売の対象国外である。
ある程度の、恐らく想像以上の、繊維工業もあり日本から輸出できるとは思えない。
だからこれは自分で勝手に決めたささやかな休暇である。

好事魔多しとはこういうことか。

快調に飛んでいたイベリア航空の飛行機が、ケイマン島の上空で急にエンジン音が低くなり、徐々に下降して遂に海面すれすれまできたころには、流石に機内の空気も緊張してきた。
やがて「エンジン不調のためキングストン(Kingston)に不時着します」というアナウンスがあり、機首を翻して着陸した。
空港ラウンジでコーヒーでも飲んでいる間に、時間だけが過ぎて一向に飛び立つ気配がない。
夕方になっても、サンドイッチが出されただけで、説明がない。
中には口の悪い乗客がいて「何処が故障したのかわからんのじゃないか?」と毒づいたりしてる間にも、時間はどんどん過ぎて行く。
漸く客たちの不満の声が大きくなった頃、「部品を取り寄せていますから今しばらくお待ちください」と言われて、皆がギャフンとなってしまった。
結局12時間以上も待たされて、飛び立ったのは3日深夜を過ぎ東の空が明るくなり始めてからだった。

たっぷり3日間メキシコ見物と予定していた目算は見事に外れて、2日きりになってしまった。

聞きしに優る大都会というのが、偽らざる印象である。
大都会というものは、言葉とお金に不自由している旅人には不便である。
しかしタクシーがメーター制でしかも以外に安いのが救いだった。
国立人類学博物館は見ごたえがありお勧めである。グアダルーペ寺院(Guadalupe)は如何にも信仰深いカトリックの荘重さが、異教徒の僕にも敬虔な気持ちを起こさせる。
この寺はもともと地盤が柔らかい上に、大地震で傾いたままである。

あくる日はアメリカの団体客に紛れて、テオチワカン(Teotihuakan)までピラミッドを見物に行く。
事前にもっと勉強をしておかなかったのが悔やまれるが、そもそもがビジネスの旅である。
我侭は言えない。

10月5日夜メキシコを発って、LA-ハワイ経由で羽田に帰ったのは、殆ど3ヶ月振りの10月8日だった。
小柳ルミ子の「わたしの城下町」が流行りに流行っていた。

それから二ヵ月半の後、12月19日になって漸く1$を¥308とする新しい固定相場が決定した。
輸出は壊滅的打撃を受けるだろうと言われ、確かに一時大混乱になり、この機会に繊維品の輸出に見切りをつけて廃業する同業者も少なからずあった。

しかし、耐え忍ぶのは慣れている弱小商社であり、折角南米という誰も見向きもしなかった市場に手ごたえを感じて帰ったばかりである。
嵐の通り過ぎるのを、姿勢を低くしてやり過ごした。更に一年余り後の1973年2月には第2次石油ショックの混乱から遂に変動相場制に移り、戦後長く続いたドルへの従属が終わった。

それは日本の貿易全体の自立であり、我々にとっても一人前になるきっかけだったように思う。


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再びドミニカ =南米1971(13)=

ドミニカ国旗 ドミニカmap

 再びドミニカ


Dumit氏がわざわざサントドミンゴまで出向いてくれたので、一緒に小型機に乗ってサンチアゴへ飛ぶ。

最初に契約したものの船積見本がちょうど届いていて、満足したということだった。
そこでその後の為替の動向などを懸命に説明して、代金決済をできる限り早くして欲しいとお願いするためにもう一度来たと言うと、即座に10万ドルを送金する手配をして、最初と同じものをこの金額内で頼むと、なんとも太っ腹な注文を出してくれた。

この出張の最大の目的が果たされた気持ちだった。すぐに本社と連絡を取り、追加の出荷数量を確認して、最終的な注文として、かたちばかりの契約書をタイプしてサインをすると、堅い握手を交わしたものだった。
残念なのは、その年の暮れ新しい為替レートが、$=¥308になり、更に1973年2月、円も遂に変動相場制になって、輸出業者冬の時代になってしまい、この貴重なお客さんとの取引も終わる羽目になったことだった。

ドル・ショックという思わぬ事態も5週間も経てばそれなりの落ち着きが出てきた。

日本の外から見ていると、文字通り客観的になれる。ドルの落ち着き先がどの辺りかは依然はっきりしないが、持ち前の「なんとかなる」という気分が心を軽くした。

そこでサントドミンゴへ戻り、一日コロンブスの遺跡を見物したり、メキシコのビザを取って用意をして、メキシコへ向った。

いつの間にか10月に入っていた。

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マイアミ(アメリカ合衆国) =父の旅、南米1971(12)=

星条旗 アメリカ
 マイアミ
(アメリカ合衆国)


 Miami(United States of America)


ラテンアメリカへの玄関と言われるだけあって、スペイン語の表示が行き渡っている。

飛び交う言葉も英語よりスペイン語のほうが幅を利かせている。

とてつもなく大きな半円形をしたターミナルビルの向うの端が見難いくらい長く広い。

時間待ちの間に、端から端まで歩いてみる。銀行の窓口が幾つもあって、中南米各国の通貨との両替のレートが表示してあるが、一向に流行っていない。
考えてみたら、この2ヶ月いろいろな国を廻ってきたが、一度も両替をした記憶がない。
201104091$銀貨

すべてドルで払いお釣りの小銭を現地通貨で受け取ったくらいである。中南米をひっくるめてアメリカの裏庭とは言い得て妙である。

ある銀行の一角で、アメリカの古いお金を土産に売っているのを見つけて、1ドル銀貨を一つ買い求めた。
丁度その頃日本で封切られた「荒野の1ドル銀貨(1966)」という映画から、息子がその1ドル銀貨を欲しがっていたのを思い出したからである。


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グアテマラ =父の旅、南米1971(11)=

20110319グアテマラ国旗 20110319グアテマラmap

 グアテマラ(Guatemala)


街の印象は5年前と変らない。

初めて会う代理店の社長は、こうもり傘の製造をする小さな工場を経営して、なかなか羽振りが良さそうだ。

わが社の商品の取次ぎの方は、余り力が入っていないと見た。
背景となる市場の大きさは、我々のような小規模商社に適当なのだが、問題はアメリカが近すぎることである。
マイアミやロスへひとっ飛びすれば、欲しいものは簡単に買える上、商品も飛行機ですぐに届くというのだ。
彼等の言うSaldo(見切り品)は、アメリカでの取引は問屋で買い物をしてくるようなものらしい。
アメリカでは一般雑貨の海外への積み出しと言うのは、通産省や税関のチェックでがんじがらめの日本とは根本的に違うようだ。
買い付けて一週間もしないうちに品物が空港に届くという。
せめてもう少し地理的に遠い南米諸国に力点をシフトするべき、というのが結論でありそれが正解だった。

最初に注文を受けたドミニカ向けの商品は、既に船積みしたという連絡が来た。
ドルは依然としてじりじりと下落し続けている。
今の状況を説明しようと、急遽もう一度ドミニカへ行くことに決めて、Guatemala-Miami-Santo
Domingo-Mexico city-Los Angeles と追加のチケットを手配し、マイアミに飛ぶ。

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ホンジュラス =父の旅、南米1971(10)=

20110312ホンジュラス国旗 20110312ホンジュラスmap

 ホンジュラス(Honduras)



ここは隣国ニカラグアと並んで、この地峡帯でも貧しい国の方に入る。

ハイチほどではないにしても、やはりアフリカの臭いがする。
いろいろな国を廻って見てきた勘が、街の中を歩いてみての判断に自信を与える。

ただ最近通信を交わし始めたばかりの地方都市の客に会ってみたい誘惑がある。やはり田舎好きの為せる業なのだろう。首都テグシガルパ(Tegucigalpa)から北へ200kmsのサンペドロスーラ(San Pedro Sula)へ飛ぶ。
アメリカ資本の広大なバナナ畑を見下ろしながら飛ぶのは、社会主義者でなくても聊か感慨を催す風景である。

地理的な興味を満たしただけで、商売には繋がらないのを確かめたような結果でこの国を離れた。
テグシガルバ市街・ホンジュラス
テグシガルバ市街・ホンジュラス

父(A)の旅行記第二弾「父の旅、南米1971」は毎週土曜日に掲載予定です。

次の国:(11)グアテマラ
前の国:(9)パナマ
第一弾:「1965年親父の父の世界一周

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パナマ =父の旅、南米1971(9)=

⑱パナマ国旗⑱パナマmap

 パナマ(Panama)



新しい為替レートはしばらく決りそうな気配はない。

日々少しづつドルが下落して輸出代金の手取りは下落し続けている様子が、大分はっきりしてきた。
一つ一つの商売の利益は不安定だが、それなりの対応の仕方も見えてきたので、先へ行くことにして9月12日ボリビアを後にして、パナマへ向った。

5年前立ち寄れなかったホンジュラスと、前回会えなかったグアテマラの代理店に顔を出すためである。
すると空港で何と、6週間前に別れたバランキージャの代理店の紳士が迎えてくれるではないか。
神戸からのテレックスで予定を知ったので、その後の経過を知らせておきたくて、という嬉しい話である。
勿論主な用事は、パナマ運河のカリブ海側の港コロン(Colon)にある保税倉庫へ検品に来たのだとか。
そこからバランキージャに輸入すればいろいろ言葉にしにくい利点があるらしい。
早く言えば密輸が簡単にできるということらしい。
なるほどボゴタの縫製工場の人が「輸入の仕方をなんとか・・・」と言っていたのが、ここで辻褄が合う。
20110305パナマ帽
ついでにパナマ運河を案内してやろう、というので彼に付いて運河沿いの鉄道でコロンまで少旅行となった。
湿度の極端に高い中を、2時間ほどゴトゴトと揺られて行く。
地図で見れば両アメリカ大陸を繋ぐ紐のように細い部分だが、何しろ複雑な地形なので鉄道が運河に沿っているのは、ほんの一部分である。
大部分がジャングルの中を走る。
時々山の中に船のマストや煙突が見えたりする異様な風景に驚く。

この二ヶ月の旅で少しはましになったスペイン語と、相変わらず怪しげな彼の英語との道中は、傍から見れば漫才のようなものだったろう。
それでもお互いの言わんとするところは殆ど理解できた。
お互い再会を約して別れたが、その機会は残念ながら来なかった。
愛すべき人柄が印象に残っているが、商売の方は簡単ではなかったからだ。


父(A)の旅行記第二弾「父の旅、南米1971」は毎週土曜日に掲載予定です。

次の国:(10)ホンジュラス
前の国:(8)再びボリビア
第一弾:「1965年親父の父の世界一周

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再びボリビア =父の旅、南米1971(8)=


⑰ボリヴィア国旗 ⑰ボリヴィアmap

再び ボリビア(Bolivia)



パラグアイを一週間で切り上げると、週末にはボリビアへ折り返し、日本からの為替に関する情報を待つことにした。
20日夕方ラパスに降り立つと、銃を抱えた兵士が散見される。

一週間前にチェックアウトしたHotel Crillonに行くと顔を覚えていて「bienvenido(歓迎)」とすこぶる愛想がいい。

ラパスのボリーバル像
20110212らパスの中心・ボリビアところが朝起きると上空を軍用機が飛び回ってただならぬ雰囲気である。
ハンダル氏が電話を掛けてきて「革命、革命、迎えに行くまでホテルから出ないように」と何時に無く真剣に注意された。
さては、2週間前に降り立ったとき、革命の臭いがするといっていたのは本当だったかと妙なところで感心させられた。街中にタンクが出ていたり、相変わらず軍用機は飛び回っているが、ビジネスは普段通りだ。
ただ夜の外出は禁じられているので、近くでフォンデューの美味いのを食べさせるレストランがあるのに出られないのが残念である。
時々パンパンと銃を撃つような音が聞こえる中で、危険を冒す気にはなれない。
その夜、「今晩の食事は地下のダイニングに用意しましたから、そちらでどうぞ」と案内された。5階の見晴らしの良いレストランは危ないということらしい。
まさかとは思ったが、食事を済まして3階の部屋に戻ると、なんと窓ガラスが割れて衣装棚の扉に銃弾の跡があるではないか。
慌てて部屋を一階に変えてもらい、それでも眠れぬ夜を過ごしたものである。

不思議なのは、危険度の予測の正確さである。
さすが百何十回ものクーデターを経験してきた人々の勘なのか。


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前の国:(7)パラグアイ
第一弾:「1965年親父の父の世界一周

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パラグアイ =父の旅、南米1971(7)=

20110219パラグアイ国旗 20110219パラグアイmap

 パラグァイ(Paraguay)



8月15日夕方、新しく市場開拓して間もないパラグアイへ向う。

同業者も殆ど名前も聞いたことがない、というくらい地図の上からも、商売の上からも、僻遠の地とも言うべき国である。

その点が先ず第一に僕の興味をそそる。
大袈裟に言えば探検家の心理とでも説明しようか。

ボリビアと同じように、支払いは総て後払い方式、つまり先ず商品を送り出してから、送金を待つという客を信用しないと成り立たない取引である。通産省が永い間許可しなかったものを、苦労して納得許可させた開拓者のような自負がある。
それには矢張り、客との親密度が唯一最大の保証になる。支払いを心配する売り手と同じように、商品で騙されはしないかと心配するのは買い手である。
直接握手することによって、その両方を解決しようというのである。

「僕の率直な気持ちを伝えに来た」といったら、思いのほか皆に受入れられ、歓迎された。

それまで全くといってよいくらい、日本から繊維品を買ったことが無かった人々が興味を示してくれたのは、地球の裏側まで来た甲斐があったと実感できた。
20110219アスンシオン中心街・パラグアイ
アスンシオンの中心街・パラグアイ


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ボリビア(Bolivia) =父の旅、南米1971(6)=

⑰ボリヴィア国旗 ⑰ボリヴィアmap

 ボリビア(Bolivia)


8月1日夜ボゴタを発って翌2日早朝にリマ経由正午前にラパス(La Paz)に到着。
5年前より少し空港のラウンジが広く綺麗になった程度で昔懐かしい感じで迎えられる。土地の人は冬だというが、寒いとは感じない。
むしろ雨が無くて日差しが多いから、前回来た3月より体感的には暖かい。

ラパス空港
20110212ラパス空港前・ボリビア空港のあるエルアルト(El Alto = 高い所という意味)から谷間にあるラパスの市外が美しく見下ろされる。
ここの代理店のハンダル氏と沢山の知り合いの人懐っこさが思い出されて、空気の薄さとは反対に心和むものがある。建設中のSheraton Hotelに泊まるのは次回のお楽しみということで、Ave.A
rceのロータリーに面した Hotel Crillon に部屋を取ってもらう。少し古いがこれ以上贅沢はいえない。
目の前のロータリーには、コロンブスの援助者イサベラ女王の銅像が、慎ましやかに建っている。
しかし、征服者としてのものではなく、カトリックの守護者としての尊敬を集めている。

ここもまた熱烈なカトリックの国なのである。高山病に罹らない心得は出来ている。何事もゆっくりを心掛け、酒を慎み大食を戒める。

空港からラパス市外を見下ろす
20110212ラパス市外を見下ろす・ボリビア5年振りというのにお客さんは皆親切だ。
ただ革命の臭いがするから余り一人では出歩かないようにという注意を受ける。
異邦人の僕には、どこにそんな臭いがあるのか皆目見当もつかない。
訊ねても片目をつむるだけで、曰く言いがたいという表情である。
さすがに夜の街へは出歩かないようにしながら、3~4日掛けてお客さん回りが一段落すると、「避寒休暇に行こう」と連れ出された。

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コロンビア =父の旅、南米1971(5)=

20110205コロンビア国旗 20110205コロンビアmap

 コロンビア(Colombia)


キングストンからカリブ海を南に一跨ぎで、コロンビアの港町バランキージャ(Barranquilla)である。

ここでのわが社の代理店は、最近取引を始めたばかりで商売の実績はないが、これまで廻ってきた島国たちよりは、人口も多いので、数量的には期待できそうだというのが、当方の目論見である。
ただしこの国には、少しとは言え繊維工業も有り、日本からの輸出実績は零に近い。先ずは当たってみようというのが正直なところである。

中南米で消費雑貨の輸入代理店を始めるのは、ほとんどが中近東、特にレバシリと多少軽蔑のニューアンスを込めて呼ばれる、レバノン、シリア出身の人々である。
第一次世界大戦後の植民地時代に育った彼らは、英語、フランス語、アラビア語などを操れるのと、天賦の商才でもって、新天地を求めてやって来たのだ。

ここではその予想が外れた。

初対面でいきなり出身地を尋ねたりするのは憚られるので、詮索はしなかったが、明らかに想像していたのとは違っていて、彼自身インテリアー美術のような仕事を持っていて、そこそこ羽振りの良さそうに見受けられる。
片手間にでも別の仕事もしてみようか、というような風に見受けられた。
コロンビアの繊維産業については、格別詳しそうでもない。ここは今後に期待ということで、お茶を濁して置くのが無難というものであろう。

ただこの人の良さそうな若い紳士の魅力は捨てがたい。

20110205コロンビア・バランキージャ
コロンビアの港町 バランキージャ市街

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次の国:(6)ボリビア
前の国:(4)ハイチ~ジャマイカ
第一弾:「1965年親父の父の世界一周


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プロフィール

spacecowboys A H

Author:spacecowboys A H
Space Cowboys は、2人の親父です
"A" システムエンジニア・
   中日ファン・世情に疎い
"H" 総務畑・てっちゃん・
   阪神ファン・雑学が得意
2人ともイーストウッド好きの還歴男

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