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1965年親父の父の世界一周22グアテマラ~帰国

22グアテマラ国旗22グアテマラmap

 グアテマラ(Guatemala)

 4月17日遂にこの旅の最後の国グアテマラに入る。首都グアテマラシティーの中心部と思われるあたりを、車輪に引っ掛けそうになるほどにかすめてアウロラ空港に着陸、つまり飛行場と街とがごく近い。メキシコの南、北緯十五度といえば立派な熱帯に位置するが、この街も1,500メートルの高原にあるために、熱帯という雰囲気は全く無い。僕が訪れた4月は気温の高い季節だったにもかかわらず、日本の5月頃の気候でT-シャツ姿は見当たらない。住民の半分は、ユカタン半島一帯に石造の遺跡を残すマヤの後裔とみられている。黒人とその混血とみられるアフリカ系の顔立ちをした人は、パナマ、ニカラグアなどと比べると極端に少ない。流通経済を牛耳っているのは、ここでもまたシリア、レバノン、イスラエル系の中東から移り住んだ人々である。カトリックを信奉する人が多いのは、やはり四面イスラム教徒のかの地で、住み難かったのではと想像できる。戦後すぐにパレスチナから移住したという客の一人に、不躾にこの点を訊ねると「宗教に関係無くみんな仲良く暮らしていたのだ。大国の都合で国境線を引いたのが間違いのもとだ。オスマントルコ時代のほうが、こと庶民の生活に関しては平和だった」という話だった。政治が先鋭化すると宗教が不寛容になる、どうしようもないスパイラルのようなものが感じられる。
22グアテマラシティ中心 22グアテマラシティ問屋街問屋街

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1965年親父の父の世界一周21エル・サルヴァドール

21エル・サルヴァドール国旗21エル・サルヴァドールmap

 エル・サルヴァドール(El Salvador)

4月13日ほんの一ッ飛びで隣国エル・サルヴァドールに移る。中米地峡帯6カ国の中でも一番小さいこの国は四国より一回り大きいくらいに過ぎない。しかしホンデュラス、ニカラグアに比べると軽工業が発達していて、我々の貿易相手としての小規模縫製工場が郊外に散在している。ミシン2-30台のいわゆる町工場とわいえ、20軒も客に出来れば商売の単位になる。街の中央のグランホテル・サン・サルヴァドールに落ち着いて、若い代理店の男と毎日午前・午後各2-3軒の客を訪れて主にワイシャツ用の生地を成約する。
21エル・サルヴァドール 21サン・サルヴァドール中心街
サン・サルヴァドール中心街

 嘗て日本が満州国を作ったとき、どんな経緯があったかは知らないが、エル・サルヴァドールがいの一番に承認したという歴史のせいか、何となしに親近感を覚える、個々の客には何の関係も無いし、彼ら自身そんな昔のことを知っているわけもないが。四日間若者を引っ張りまわして、片っ端から小口の注文を取るとあたふたと最後の訪問国グアテマラに向かう。 飛行機に乗る直前に手許に残ったドルから、後一週間の滞在費を残して$100をコミッションの前払いだといって若者に渡すと、目を丸くして喜んだ。何処へ行ってもいつの時代にも、若者の率直さは好もしい。
21サン・サルヴァドールMarket 21サン・サルヴァドールDowntown
market & downtown

21パイナップル屋パイナップル屋


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1965年親父の父の世界一周⑳ニカラグア

⑳ニカラグア国旗⑳ニカラグアmap

 ニカラグア(NICARAGUA)

 約30分でマナグア(Managua) 着、暑い。 海岸から少しは奥まっているが、高度は海面と殆ど変わらない。それだけに気温も湿度も高い。一先ず市内目抜きの位置にあるホテル ルーベンダリーオ(この国出身の詩人の名を付けているとは洒落ているではないか)に落ち着き、取引先に電話を入れるが要領を得ない。フロントで訊ねて出かけると直ぐ見つかったが、80歳だというおじいさんが現れて、たどたどしく話してくれたところでは、息子は休暇で田舎へ帰っていて留守、日曜日には帰ってくるということらしい。さかんにドミンゴ、ドミンゴを連発してそれまで待てという。無理も無い。パナマで行方不明の鞄を待っている間に気付いたのだが、10日の日曜日が復活祭(イースター=Pasqua) でカトリックの国では大体7日頃から休みに入ってしまうのだ。それまでにせめてニカラグアの仕事が出来ればと急いでやって来たのが空回りになってしまった。ここで4日も棒に振るくらいなら、もう1日2日サンホセに滞在しても良かったがと思っても後の祭である。気候の良いコスタリカに引き返そうにも、領事館も無論休館だからヴィザが取れない。

⑳ニカラグア1 遂に観念して潔く休養しようときめる。考えて見れば二日ボリヴィア、三日ペルー、四日パナマ、五日コスタリカそして今日はニカラグアと毎日異なった国で泊まって来たのだから、寝不足も溜まっていたのだろうか、冷房を効かせて良く眠った。夕方空腹に目覚めて外を見ると、プールがあるではないか。ひとつ水着を買ってきて外人並のヴァカンスと洒落こんでやろうと外に出たが、買い物をするような店は一つも開いていない。食べ物屋も見当たらない。日本の正月以上に何も買えないし何も食べられない。わずかに映画館がやっているが、イースターに因んでかキリストのものばかり。いよいよホテルに篭城するよりなさそうだ。ホテルも食事も高い。寝て食って$20近くも取られるのはやり切れないが如何ともし難い。

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1965年親父の父の世界一周⑲コスタリカ

⑲コスタリカ国旗⑲コスタリカmap

 コスタリカ(COSTA RICA)

 パナマで知り合った名古屋から出張の人についてホテル・エウロパ(Europa) に落ち着く。ここでは商売は無く、お世話になった先輩の取引先を表敬訪問するのみ。電話を入れるが返事無し。電話帳で住所を調べてのこのこと出かけて行く。どこの国でも通りと番地がはっきりしていて、住所さえ判れば誰でも探すことが出来る。ホテルには大抵街の地図が備えてあるから、それで通りを探し出せば後は各家々に張りつけてある番地を見つけるだけである。それも正確に順番に並んでいるから面倒は無い。 日本では家は人に尋ねるものときまっているが、外国では住所さえ聞けばよいようになっている。そしてそれが当たり前なのは解りきっている。日本の所番地なるものがいかに無茶苦茶で解りにくいか、溜め息が出るくらいだ。

現在のHotel Europa
⑲HotelEuropa 事務所はすぐ判ったが生憎閉まっていた。名刺に電話をくれるようにメモして挟んでおいたが、今日中に連絡があるかどうか心配しながら、取りあえず明日のマナグア行きの予約をとりにパンナムへ行くと、満席だと言う。もう一つの TACA の方も駄目。明後日はというとそれも駄目ですと、聞くまでも無いといった顔をする。「他に便は?」「今夜バスがありますが9時間かかります」「何か方法は無いか?」「明朝空港へ行って見る事です」「見込みの程は?」「99%」99%駄目なのかと思ったら、そうではなくって99%大丈夫だと言う。「誰か病気になる人もあろうし、乗り遅れる奴も、また気が変わる者もありましょう、先ず大丈夫です。兎に角行って見る事ですな」という説明である。病気や事故を当てにするには、ちょっと確率が高過ぎるが、予約が取れない以上致し方ない。勧めに従うことにしてホテルへ帰る。

⑲PANAM 6時頃電話が入りまた出かける。「今日来てもう明日の朝立つなんてコスタリカが嫌いですか?」と皮肉を言われたが、事情を説明して「何とか明日ニカラグアに行きたいが、もし運が悪ければもう一日滞在しますから」と断って、先輩からの伝言を食事を摂りながら伝える。夜11時頃、街灯が有るには有るのだが、ほとんど真っ暗と言っても過言ではない、見知らぬ街を一人で帰るが全く不安は無い。百年くらい時間を遡った『古き良き時代』を彷彿させる街である。⑲TACA

 地図で見るコスタリカといえば、メキシコと南米とを繋ぐ中米地峡帯の中の小国、掌にも乗りそうに見えるが、実際の面積は5万平方キロ余り、九州よりも20%くらい大きい。住民は白人が主で、人種的な対立が殆ど無いせいか、ラテンアメリカには例外的に政治が安定している。日本の新聞にこの国に関する記事が載るということは10年に一度もないかもしれない。遠い未知の国といっても差し支えない。首都サンホセ(San Jose)は中央高地の標高約1000メートルのところにあるため、北緯10度の熱帯にあるのに気温は年間を通して22-23度。住み易いことこの上ないと思える。事実その通りなのだろう、だからニュースにならない、そして好奇心の強い日本人にすら関心の外にある。

 4月6日早朝5時半に起きて空港へ行く。「空席は?」「未だ時間が早過ぎます」「とに角マナグアまで行きたいのだが」「マナグアですか、どうぞ」いとも簡単にOK。満席と言ったのは嘘か?と言いたいところだが、まず一安心である。飛行機はこれまでの最高の3時間遅れて到着、乗って見て驚いたことに約80%の空席。話が違いすぎるが99%確実といったのが反対に納得できる。 想像するに各空港に一定の持ち席があり、それが満席という意味であったらしい。即ち空港間で空席の連絡を取り合うほど通信機能が発達していないのが実情であるようだ。

 世界中を Computer で即座に結ぶ今と比べれば、今昔の感が有る。1966年の中米の小都市の空港での話である。

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1965年親父の父の世界一周⑱リマ~パナマ


⑱ペルー国旗⑱パナマ国旗⑱ペルーmap
⑱パナマmap左ペルー、右パナマ

リマ(ペルー)~パナマ
(Lima-Panama)


 何事もマニャーナ(明日)でないと始まらない国だからという訳ではないが、予定を三度延ばして4月3日パナグラでラパスを離れる。三度目に予約の変更に行った時には流石に「Waste of time, time is money, so waste of money」とお国柄らしくないことを言って口をとんがらせていた。
 夕方4時過ぎ離陸。
⑱チチカカ湖
 北西に向けてチチカカ湖を横切るとペルー、山また山。一層乾燥が激しくなって、ペルーの海岸に出たときには全くの不毛の地。アンデスを境にして東と西の際立った違いに目を見張らされる。東側に降った雨は世界一の大河アマゾンや、ラプラタ河に集められて大西洋に注ぐのに、7千キロを越える南米大陸の太平洋岸にはめぼしい川は一つも無い。特にペルーの海岸部は完全な砂漠である。リマの街から見える山にもただの一本の木も見当たらない。ホテルから見下ろすとドロで出来た家々の屋根に穴があいていて、光が漏れているところが沢山ある。雨が降るのが余程稀なのだろう。

 リマには乗り継ぎのための一泊のみ。4日朝早く立って Guayaquil, Quito を経て昼過ぎパナマの Tocumen 空港に着陸。暑い、そしてアフリカ以来の高い湿度に汗が滲み出る。日本との時差は14時間、この太平洋の向こう側が日本かと思うと、旅も終わりに近いなと感じる。 長い間旅をしているといろんな事が起こる。旅行鞄が一個行方不明。少々のことには驚かなくなったし、困ったと頭を抱えるほどの出来事にも幸い出くわさなかったが、今度ばかりはちょっと弱った。 太平洋を望んで感傷に浸るどころではなくなった。時間さえあれば何れ出て来るだろうが、何しろ先を急ぐ身だから当惑する。「機内は全部探したが見当たらないから Telex するが、返事は明日でしょう」と中米らしい言いぐさ。明日昼の便を予約しているのに心細くなってきたが、どうしようもない。ラパスで積み忘れたものか、リマで無くなったのか、グアヤキルかキトーで間違って下ろしたものか、さては飛行機の中に残されてマイアミへいってしまったものか。 リマとパナマの間は毎日便があるので、この間にあれば明日にでも届きそうだが、もしラパスにでも残っていると二三日掛かりそうだ。

 様々な想像を巡らせても所詮どうしようもない。空港に隣り合ったホテル「La Siesta」でシャワーを浴びようにも着替えが無い。ラパスを出た時の服装は合服に長袖シャツだから暑くて堪らない。ホテルで買った半袖シャツを纏って、街へ出て肌着を仕入れる。大枚約4ドルの出費である。パナマでは米ドルがそのまま通用する、現地通貨はドル以下の小銭だけ。これはリベリアと全く同じで、通貨交換の手間がいらないのは便利だ。 4ドルの買い物に50$紙幣を出したら、マネージャーらしい男が出てきて、透かしを見たり、疑い深そうな眼で僕の顔と見比べたり、不愉快なこと夥しい。ここから先の中米諸国へは、飛行機の便は毎日あるから、一日遅れればその先を一日延ばすだけだから、さして予定を立てるのに苦労は無い。コスタリカ2日、ニカラグア3日、サルヴァドル2日、グアテマラ4日と計算を立てて鞄が現れるのを待とう。                          

翌早朝 Panagra に電話を入れると、驚くべし「荷物は既にここに来ております、いつでもどうぞ」との返事。何とマイアミにあったとのこと、つまり下ろし忘れていたのだ。早速鞄を回収して、予定通り午後の便ですぐ隣の国コスタリカへ向かう。

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1965年親父の父の世界一周⑰ボリヴィア

⑰ボリヴィア国旗⑰ボリヴィアmap

 ボリヴィア(BOLIVIA)

 ボリヴィアといえば先ずアンデスの高山国を思い浮かべるが、日本の3倍もある国土の北部及び東部の大部分は熱帯雨林に属する。サンタクルスは戦後日本人の入植もあって比較的知られているとはいえ、『世界の田舎』とでも言えそうな雰囲気が有る。出発を待つ空港ロビーで貧しそうな身なりの子供たちが、靴を磨いたり荷物を運んだりて小銭を稼いでいる。日本からの移民の子供達かと思ったが現地人(Indio)らしい。何と日本人によく似ていることか。降りしきる雨が一層気を滅入らせる。この大量の雨が北に流れやがて東に向きを変えるとアマゾンに合流する。大西洋に注ぐまで何千キロあるか知らないが気の遠くなるような彼方である。

Andes
⑰アンデス どう言うわけか飛行機を換えて再び飛び立つ。1時間余りで快晴のコチャバンバに着く。周りを山に取り囲まれた盆地だが、ユーカリの立ち木が目立つ高原の雰囲気がある。2時間も待たされた挙句、後から来た便と一緒にされて漸く目指すラパスに向かう。徐々に山は険しさを増してゆく。ジェット機とちがってプロペラ機は高度5-6000メートルが限度である。山の上というよりも山々の間をすり抜けるように飛ぶ。気のせいかエンジンが喘いでいるように聞こえる。3-4000メートルもあろうかそんな山の頂上に小さな集落のようなものが見える。一体何の為に何をしてこんな所に住みついているのか見当もつかない。アンデス山脈の大きさは全くの桁違い。日本アルプスが可哀想なくらいである。真っ白な雪に覆われた一際雄大なイリマニ山(6,882m)の横をすり抜ける。氷河らしきものも見える。何度もエアポケットに落ちる。雲間から山肌が手に取るように迫る。ほんの少し航路を誤るか、高度を読み違えたら忽ち山に激突して終わり。手に汗を握りながらラパス空港に着陸したときは正直ホッとした。

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1965年親父の父の世界一周⑯ブラジル

⑯ブラジルの国旗⑯ブラジルmap
 
ブラジル(BRASIL)



島影一つない大西洋上を飛ぶこと6時間半、東の空が白み始めてから実に長い時間をかけて夜が明ける。朝日に輝く山々が見える。リオに近付くに従ってその山々が特徴の有る峻険さをみせて来る。その間を迂回するようにしてガレオン空港に着陸。日本との時差は遂に12時間、全くの裏側までやって来たことになる。太陽が右から左に巡ってゆくのが異様に感じられる。

port of Rio
⑯port of Rio 入国管理官が神戸でとったVISA の日付を見て指折り数えて何やらぶつぶつ言っている。知らぬ顔をしていると Tres meses とスペイン語で言った。どうやら三ヶ月以上経っているから駄目だという事らしい。ままよとまるっきり言葉が通じない振りをして肩をすくめていたら『しょうがないなア』という表情でスタンプを押してくれた。この辺が南米のおおらかさとでも言おうか。ブラジルが忽ち好きになる。アフリカの新興国ではこうはゆくまい。

 ホテルは VARIGに乗り組んでいた日本人スチュワードに聞いていた通りAEROPUERTOと決めてタクシーに乗る。流石にブラジル一の観光地だけあって、空港から市内への切符を売っている。教えられた通りセントロと言うと$3と。$5紙幣を出すと5,000クルゼイロ余りのつり銭をくれた。これはとんでもないインフレの国だなと思って、手許の手帳で調べると、一つは1クルゼイロが59銭とあり、もう一つには29銭になっており、又もう一つには20銭となっている。一体どれが正しいのかタクシーの中で一生懸命計算すると、どうやら$1は2,100クルゼイロの換算らしい。とすると1クルゼイロは約17銭にしかならない。百クルゼイロ札も日本の金にして17円程にしかならぬとしたら、迂闊にチップにも使えない。桁が違うというのは不便なもので、何一つ買うにも一々札を睨んで日本円に換算してみて『うんまあ良かろう』納得した上で払うわけだから暇がかかる。バスは100クルゼイロとめっぽう安い。市内のタクシーは200クルゼイロから始まって20クルゼイロ刻みで目まぐるしくメーターが回る。見ていてはらはらするが、1000クルゼイロになったところで約170円だと思えば、なーんだという気がする。食事をすればすぐ5000なにがしというようなビルが来るのだから、なれない者には驚きの連続である。

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1965年親父の父の世界一周⑮リベリア

⑮リベリア国旗⑮リベリアmap

 リベリア(LIBERIA)

 アクラから1時間余りでリベリアの首都モンロヴィア(Monrovia)に着く。何も無い野原に滑走路が一本スッと伸びているのみ。陽射しの明るいのが嬉しい。入国手続きはえらく簡単。タクシーの運転手が寄ってきて街まで10弗だという。小国とはいえどうしてこの広々としたアフリカで街から80キロも離れたところに空港があるのか理解に苦しむ。それにしても10弗は高過ぎる。KLMに相談したらうちのリムージンなら5弗ですというのでそれにした。ホテルは何処が良かろうと訊ねると「Ducor Palace にしなさい」と言う。実はカルツームのホテルで一緒になった印度人の商人から「モンロヴィアは物価が高いですよ、是非Monrovia City Hotel に泊まれ」と親切に教えられて来たのだが Nile Cottage で満足している人の奨めるホテルは敬遠することにしたのだ。空港から街まで約1時間半、起伏の緩やかな丘の道を走る。最初の30キロ位は両側一面のゴム園、リベリア中がゴム園なのかと疑う程。
⑮リベリア・モンロヴィア1モンロヴィア中心

 ホテルはどの辺りかなと思っていると、もう一人の客が Carlton Hotel で降りた。どうも見渡したところこの辺が中心らしい。この旅の最初に泊まったのがクウェートの同じ名前の Carlton Hotel だったから親しみが湧く。意を決してリムージンを降りる。この感は当たった。街の中心に位置して訪ねる客の店にも近かった。ロビーでいきなり日本人に会ったのには一寸びっくりした。東京の機械屋さんでもう二ヶ月も滞在しているとか、アフリカの果てまで来ても日本人に会うのは驚くばかり。

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1965年親父の父の世界一周⑭アクラ空港


⑭ガーナの国旗ガーナ
⑭ガーナmap
 アクラ(ACCRA)空港

 次の目的地アフリカ大陸西南端の国リベリアへの唯一の直行便、中東航空(MEA)のモンロヴィア行きが運行中止のため、ラゴスかアクラで乗り継ぎするより方法が無い。早いほうの「アクラ乗り継ぎにする」と言ったら、皆が「危ないですよ、革命直後だけに」と案じてくれたが「なに一晩泊まるだけだから」と気にも留めずに出発する。カルツームを離れて2時間余りは全く不毛の地。水一滴も無く緑のかけらも見当たらない。チャド湖の南をかすめて、そろそろナイジェリアかなと思う頃から、緑が見え始めみるみるジャングルに変わる。今度は緑一色土が見えない。その違いの極端さに目を見張る思いがする。大河ニジェール河を横切るとやがてラゴス。無数のトタン屋根がギラギラと光る。空港は森閑としている。客の殆どはここで降りてしまってアクラまで行くのは4人きり。ラゴスからアクラへは海岸沿いに西に飛んですぐ。

DC-3
⑬DC-3 「前の一等客出入口から降りてください」というので4人の客が集まる。しばらく待たされて「一人づつどうぞ」ときた。冗談と思って笑いながら最後に機外に出てびっくり仰天。タラップの下に機関銃の銃口をこちらに向けて、兵隊が腹這いになり引金に指を当てている。左側には小銃を構えたのが6-7人ずらり。一人でも面白半分に引金を引く奴がいたらどういうことになるかと考えるとぞっとする。流石にカメラを取り出して写してやる勇気は無い。タラップを降りるとちょっと偉そうなのがジープに乗っていて、いきなりパスポートを出せ、そして「何故来たか?」と軍人らしい失礼な言い方をする。ついムッとして「For Transit only」と大きな声になる。それから荷物を受取るまで4-5回もパスポートを出さされたのには『やはり革命下だな』と思い知らされた。革命とは少し買い被りで、このでは単なる政権奪取に過ぎないのだが。入国審査も検疫も税関もみな軍人。辺りには鉄砲を持ってのがうようよ居る。『ちとたかをくくり過ぎたかな』と感じたくらい。移民官は二日間だけ滞在を認めると、さも早く出て行けと言わぬばかり。税関役の軍人は不必要に荷物ををひっかきまわし、挙句に鞄の中で手を広げていくらか金を置けと賄賂の催促。意味が解らぬような振りをしていたが、とてもハンコを押す気配が無い。諦めて金を出すことにしたが生憎1弗札がない、忌々しいが遂に5弗取られた。こんなことは後にも先にもアクラだけ。アフリカを回っている間、散々聞かされた『アフリカ人は未だ独立政府を持てない』といった批判が、ここへ来て遂に納得させられたような気がしたのはアフリカの為に悲しい。

 ホテルは空港の真ん前、道路一本を隔てて空港ビルと向かい合っている、ほんの20メートルのこのこと歩いて行ける。ところがこのホテルのお粗末なこと、蒸し暑いことこの上ないがシャワーも使わずに寝るより仕方が無い。夕方も闇に包まれた中を兵士だけが徘徊している。街へ出かけて様子を見てこようという気にはなれない。

 翌朝アクラ始発のKLMに乗り込む。意外に多い客。家族連れが多いのは革命に危険を感じて国を離れる人達だろう。日本にも嘗て昭和11年2月、所謂2.26事件の折り在日外国人はこんな風に慌しく横浜から帰国して行ったのだろうか?

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1965年親父の父の世界一周⑬スーダン

⑬スーダンの国旗(当時) ⑬スーダンの国旗左が当時の国旗
⑬スーダンmap
 スーダン(SUDAN)

 3月11日、朝日が昇ったばかりのアディスアベバを離れてスーダンのカルツーム(Khartoum)に向かう。アビシニア高原を過ぎてそろそろスーダンかなと思う頃から、俄然黒く険しい山々が途切れて砂漠に変わる。青ナイルがうねうねとくねっている。名前の通り水が青い。これは総じて赤茶色をしたアフリカの川には珍しいことだ。やがてカルツームかという頃、何も無い大地を流れるその青ナイルの左岸に、整然と耕された目を見張るばかりの畠が現れる。ワドメダニ(Wad Medani)という街を中心に広がる大農園である。勿論ナイル川の水を引いて灌漑したものであるのは、周囲の砂漠との対照を見れば明らかである。ジェット機で15分も飛ぶ間この畠が続くのだから、150から200kmsもありそうだ。小さな島国育ちの我々にはちょっと想像しにくい広さだ。綿花と小麦の栽培が主で、ここでの生産がスーダンの国庫に響くというのも頷ける。

 機内アナウンスが『カルツームの天候は晴、気温22度』と告げるから、これは案じたよりずっと涼しい有り難い、と思ったのは早合点というものだった、朝7時の気温なのだから。飛行場は街と密着している。これほど市街に近い空港は見たことが無い。街が発展して空港に近付いたとはとても思われない。アフリカの街の特徴として、家並みが切れるとそこから先は突然何も無くなる。家が疎らになり街が終わるという順序がない。ある家まで来るとその先には本当に空間があるだけだ。だからカルツームのような砂漠の中の街には家並みの向こう側にすぐ飛行場ができる訳だ。

ナイル川と綿花畑
⑬ナイルと綿花畑 税関の検査は割合簡単、感じがよろしい。ただ手持ちのドルを申告し、スーダン・ポンドと両替する度に銀行の裏書が必要なのはいささか迷惑。空港からの道の両側にポリスがずらりと並んでいるから、すわ革命か?と思ったらさに有らず。サウジアラビアの王様が来ているとの事だった。ホテルはエチオピアを立つとき聞いてきたグランドが良かろうと行って見たが満室。隣のスーダンホテルも亦満員お断り。ちょっと弱って何処か無いか?と言うと「アクロポリスが良いです」と言いながら、運ちゃんちょっと引き返してナイルコッテージ・ホテルなる前に止める。とても一流とは見えないが入って見ると「あなたは運が良い。今朝までいた日本人が出たところで一部屋だけある。20分も遅ければ駄目だったろう」と実に言葉巧みに誘い込まれてしまった。
⑭カルツームの住宅地

 受付の様子からして少し無謀かなと思ったが、4-5日のことだからと辛抱することにした。案の定しゃれた名前とは似つかぬ三流のホテル、冷房は付いているが動かない。天井ののんびり回る扇風機が頼り。風呂はなし、部屋の隅に1.5メートル平方位の区切りを、申し訳程度にタイルで囲ってシャワーを浴びるようになっているが湯が出ない。そして何よりも悪いことに食事が不味い。これは何から何まで今まで泊まったうちで文句無く最低、大いに情けない。

Sudan Khartoumの住宅地


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spacecowboys A H

Author:spacecowboys A H
Space Cowboys は、2人の親父です
"A" システムエンジニア・
   中日ファン・世情に疎い
"H" 総務畑・てっちゃん・
   阪神ファン・雑学が得意
2人ともイーストウッド好きの還歴男

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