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下柳

先日元阪神の下柳が情報番組に出てるのを見た。
ある若いアスリートの「病気になって初めていかに周りの人に支えられてるかを悟った」という発言に優等生的な発言をしていて、最初ちょっと意外だった。

人づき合いが苦手とは思えないが、本人も言ってたように上の言うことなど聞かないタイプで、そんな殊勝な発言は似つかわしくないから。

しかし、それに続く「結局野手が打ってくれなかったら勝てませんからね」という発言を聞いて考えを改めた。

一時、決して有無を言わせないというわけではないけど5回まで2〜3点に抑えるいわゆる「クオリティ・スタート」をして勝ちを重ねたのはそういう考えによるものかと思った。
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

江本

最近江本に関する記事を読んだ。
驚いたのは対王貞治が被打率.134ということだ。

当然巨人にも強く、78年には最下位に終わった阪神は巨人にわずか8勝しかできなかったが、うち7勝が江本だったとのこと。

なるほど江本が7勝したのも凄いが、他の投手が1勝しかしてないのも凄い。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

イチローの晩年

AvatarA将棋AI時代の波に苦しむ羽生を見ると、どうしてもイチローのことを連想してしまう。

イチローは、MLBで19年プレーしたが、200安打を続けた前半10年と比べ後半の9年は余り魅力的ではなかった。
いつか復活するのではないかと見ていたが、そんな日は来なかった。

その原因の多くは、MLBの当主の球速が2010年代に急激にアップしたことにあるように思う。
イチローが渡米した頃、150km/sを超える主力投手は、各球団に1人か2人ぐらいしかいなかった。
最近では、主力投手の8割は150km/sを超え、160km/s超えも珍しくない。
キャリアの後半(37歳以降)にこの球速アップの波は厳しかったろう。
ついに適応できなかった。

イチローが配球を読んで打つタイプなら、その技術でなんとかできたかもしれない。
しかしそうではなかった。
イチローは、どんな球が来ても対応できるように打撃を練り上げるタイプだった。
もしもイチローが、配球を読んで打つ道を選んでいたら、いまだに現役だったかもしれない。
その代わりシーズン262安打はなかったろうがね。


【A】イチローが渡米した頃、150km/sを超える主力投手は、各球団に1人か2人ぐらいしかいなかった。
最近では、主力投手の8割は150km/sを超え、160km/s超えも珍しくない。

日本でも事情は大きくは違わないんじゃない?

【A】イチローが配球を読んで打つタイプなら、その技術でなんとかできたかもしれない。
しかしそうではなかった。
イチローは、どんな球が来ても対応できるように打撃を練り上げるタイプだった。

彼の語る野球の話には状況とかはあまり出て来ず、ただ球を投げる投手とどう対峙するかみたいなのが多かったなあ。

AvatarA 

【H】日本でも事情は大きくは違わないんじゃない?

そうだね。
最近は高校生の150km/sもそんなに珍しくないよね。
投手のトレーニング方法に日米とも何か革命的な進歩があったのかな。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

谷沢と長打

AvatarA谷沢健一のYOUTUBEチャンネルを良く見ている。
見れば見るほど、性格の良さが伝わってくる。

そこで現役時代の色々なエピソードが語られるのだが、1つ気になることがある。
なにかにつけ「私は長打を期待されていたので、ヒット狙いの打撃は出来ない」と言うのだ。
中日ファンの私からすると、谷沢には長打を期待していなかった。
ベテランになってからは、ここぞって場面で長打を狙っているのは感じたし、勝負どころで長打を放っていた印象はある。
しかし、印象としては、中距離打者で、本塁打を打たなくても失望感は無かった。

若い頃は、2割9分、15本塁打ぐらいの打者のイメージだ。
中々3割が打てずに苦しんでいたことを本人も語っていた。
1976年に張本との首位打者争いに競り勝ち、打撃開眼した印象はあり、毎年3割を打ったが、長打が増えた訳ではない。

それがアキレス腱断裂からカムバックしてからは、毎年のように20本塁打をマークするようになり打点も増えた。
それでも私は、長距離砲とは思ってなかった。
早稲田時代に18本塁打打ってるんだから、中日球団は田淵並の長打を期待していたのかもしれない。

阪神ファンから見た谷沢ってどんな印象?



阪神ファンから見ても中距離ヒッターだよ。初めの頃3割打てなかったのが意外なくらい。この辺り同じ歳で谷沢よりさらに強打者より好打者に振った阪神の藤田平と通じるところがある。
彼の場合、早打ちで四球が少ないのとあまり空振りしないことが逆にポップフライの量産に結びついた結果だと思われるが、谷沢はどうなの?

晩年、勝負強さや長打を身につけた感があるのも敵側から見てもAの印象と同じだよ。

本人は長距離砲との自覚があったようたが、大学時代の成績を見るとそれも理解できるね。何しろ前年田淵が破るまでの記録は長嶋の8本だからね。

但し、当時のマスコミ等の扱いがどんなだったかは残念ながら記憶にないなあ。


AvatarA

【H】この辺り同じ歳で谷沢よりさらに強打者より好打者に振った阪神の藤田平と通じるところがある。彼の場合、早打ちで四球が少ないのとあまり空振りしないことが逆にポップフライの量産に結びついた結果だと思われるが、谷沢はどうなの?

毎年50~60の三振をしている。
長距離打者の自負が現れているのかもしれない。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

大谷はあいかわらず

AvatarA大谷の開幕2試合を観た。

あいかわらず高目の速球と低めの変化球の組み合わせに手こずっていた。
特に高めの速球は相手がどんどん投げ込んでくるせいか、ボール球までムキになって打ちに行っていた。
好調時は高めの速球でもレフト方向にはじき返したりしていたが、今は力任せに振っている。
その結果半分くらいが三振だ。
新人の時のようにじっくり見極めていたら投手もプレッシャーがかかるだろうに。
今はすぐに追い込まれてしまう。
相手投手にすれば、コントロールミスさえ気を付ければ、楽に打ち取れる感じだった。

ただ、速球がベルトより下に来たときは、凄い当たりを飛ばしていた。

テーマ : 大谷翔平
ジャンル : スポーツ

六甲おろしの仮想実況中継

AvatarA久しぶりに中村鋭一の「六甲おろし」を聴いた。

冒頭に仮想実況中継の入るやつだ。

阪神巨人同率で迎えた最終戦、9回裏0-3、二死満塁で田淵が堀内から逆転満塁本塁打を打つ。
このレコード、wikipediaによれば、1972年収録みたいだ。

翌年の1973年10月10日に田淵が巨人戦で逆転満塁本塁打を打ち、阪神は優勝にぐっと近ずく。
そのまま阪神が優勝していれば、現実が芸術を模倣したことになるんだが、残念ながら阪神はほぼ掴みかけていたペナントを逃してしまう。

さて、架空実況中継には江夏のバージョンもあると昔聞いたことがあるが、それを聴いた覚えがない。

江夏バージョンの存在を教えてくれたのは、Hかな?
 

【A】翌年の1973年10月10日に田淵が巨人戦で逆転満塁本塁打を打ち、阪神は優勝にぐっと近ずく。
そのまま阪神が優勝していれば、現実が芸術を模倣したことになるんだが、残念ながら阪神はほぼ掴みかけていたペナントを逃してしまう。

この数年は私が最も阪神に熱を入れてた時期だったなあ。
そして、この73年のV逸の時こそ巨人には遅れを取りなfがらも他の球団とは一線を画していた地位から、その他大勢へ転落した瞬間だ。

【A】江夏バージョンの存在を教えてくれたのは、Hかな?

記憶にないなあ。最近は記憶が怪しいから初めから知らなかったとは言い切れないけどね。

テーマ : 阪神タイガース
ジャンル : スポーツ

野村と稲尾

AvatarAテレビで2020年の物故者として野村克也を取り上げていた。
それを見て思い出したエピソード。

野村の現役時代、稲尾がどうしても打てなかった。
鶴岡御大には「お前は二流はよう打つけど、一流は打てんなあ」などと嫌味を言われていた。
8ミリで稲尾の投球を撮影し、徹底的に見比べて、直球を投げる時のわずかな癖を発見した。
それをねらい打ちしたら、稲尾が「おかしいなあ」と首を傾げたという。
ID野球の始まりだ。

しばらくしてオールスターがあった。
野村稲尾杉浦はパの主力としてベンチに並んで座っていた。
杉浦が稲尾に言った。
「稲尾よ野村は凄いぞ、8ミリで撮影して研究しとるんだから」
野村はあわてて制したが、それを聞いた稲尾はニヤリ。
次の対戦では癖は亡くなっていたという。

古き良き時代の名人上手の話。



野村が提唱したものだからID野球と聞くと彼を思い出すのは当たり前だけど、私は稲尾の名前も思い出す。と言うのは、鉄腕という呼び名のイメージとは違って、稲尾が風向きを計算して配球を変えるような当時としては珍しい繊細なタイプだと聞いたからだ。そりゃそうでなければ42勝もできないなと思ったものだ。

で、その頃の飛び抜けた成績を収めた選手というのは、実はそういうことに長けた者達で、自分達だけがその情報を握っていたのではないかとも思った。

ID野球というのはその一般への情報開示なんじゃないだろうか?

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

田淵の思い出

AvatarA「レジェンドの目撃者」を見てる最中から、田淵の思い出がどんどん蘇ってきた。

1975年の本塁打王の時、王の連続本塁打王を阻止したのも立派だが、
開幕直後のシーンが忘れられない。
低めの変化球に体勢を崩され、左手一本のスイングでボールの下部をこすった。
ポップフライと見えた打球が、ふわふわのびてスタンド入り。
今思えば大谷翔平クラスの天才の成せる技だ。

巨人戦に滅法強かったのは覚えているが、中日戦で打たれた印象はあまりない。

1978年の阪神初の最下位の時は、戦犯として叩かれたよなあ。
田淵自身は38本塁打も打ってたし、最下位の責任は監督のクマさんにあるのにね。
丁度「がんばれタブチくん」が流行り出していたので、世間の風潮もそれに乗っかった印象だ。

こんなこともあった。
巨人戦だったか、満塁でパスボール、田淵はボールを追いかけて行こうとして、
すぐに踵を返し審判に抗議。
インプレーなのでランナーが続々生還。
田淵は打者の足に当たったから死球でボールデッドと抗議したが、認められなかった。
とりあえずボールを抑えてから抗議すべきと、非難轟々。

その年のオフに西武へトレード。
Kが言った言葉が印象的だった。
「ファンはみんな田淵が好きだったのに、責めやすい田淵の悪口を言った。
それをスポーツ新聞が書き立て、フロントが真に受けてトレード。
まさか放出すると思ってなかったファンは唖然」

西武でのキャンプの話題。
スポーツ新聞一面にデカデカと「田淵98ホーマー」という文字が躍った。
なんじゃろ?と記事を読むと、打撃練習で98本柵越えしたという話題。
「なーんだ」と思ったが、打撃練習といえども98本も柵越えするのは凄い。
その後もキャンプでの柵越え本数の話題を注意していたが、50本超えるのも記憶にない。

やっぱり田淵は、ホームランアーチストだ。

【A】「ファンはみんな田淵が好きだったのに、責めやすい田淵の悪口を言った。
それをスポーツ新聞が書き立て、フロントが真に受けてトレード。
まさか放出すると思ってなかったファンは唖然」

この話はそのプレイを含めて「マートン→川藤→桑野→鈴木孝政→掛布→田淵」(2010.9.20
)他で何度か話した記憶がある。

本当にあの騒ぎは何だったのかと思う。ファンはまさか、本当にトレードに出すとは思ってなかった。みんな田淵が大好きだったもの。
でも、よく考えたら江夏を出した球団(両方出すなんて気狂い沙汰だ)だからなあ。今思えばファンも少し学習が足りなかったな。言い過ぎたら、真に受けるアホな球団だと気付くべきだったのかも。

まあ、時代背景として夢の世界であるべきプロ野球の世界を世間一般の組織と同列に扱って論じるという、つまらない動きが蔓延り出したってのがあるけどね。

ちなみに、田淵はその年38本塁打だけでなく、打率288、打点89(130試合制)をマークしている。

そして、田淵放出の最大の被害者は掛布だ。それまで、「田淵はアカンわ。それに引きかえ掛布ちゃんは若いのに偉いわ。」と温かい目で見られてのびのびやってたのに、ミスタータイガースを引き継いた当初こそ良かったが数年後には偉大な風除けを失ったあおりをまともに受けて、容赦ない関西人(ちなみに田淵も掛布も関東人)の口撃に晒されて壊れてしまった。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

田淵

AvatarANHKBS「レジェンドの目撃者」で田淵を取り上げていた。

懐かしい話や初めて聞く話が満載だった。

巨人戦がらみが特に面白かった。
一時カモにしていた堀内から本塁打を18本打っている。
1973年の巨人戦7打数連続本塁打。
同じく1973年の10月10日体育の日の逆転満塁本塁打。
巨人ファンだったので、巨人に入りたかった。
1回だけ色紙に巨人軍って書いたことがる、などなど。

1970年の頭部への死球の山本浩二の証言「耳から血が噴水のように出ていた」

後年巨人の新浦に頭部に死球を喰らった時、新浦がお見舞いに来たが、菊の花を持ってきたとか。

堀内のドロップを投げる時の癖を見抜いていて、狙い撃ちにしたとか。

田淵のバッティングの極意は、インパクトの瞬間だけ力を入れて、
振り出しやフォロースルーは力を抜くことにある、と語っていた。
そうすると、自然に打ち終わった後、バットがポーンと飛ぶという。
あの誰もが真似するバット投げについて、田淵本人は意識してなかったとは、驚いた。

最後に司会の土屋礼央(ライオンズファン)が
これまでで一番印象に残っているシーンを聞いた。
答えは「プロ入り初打席、代打に出されて平松に三球三振。
それもストレートを真ん中に3つ。
それでも手が出なかった。
これはえらいとこ(プロ野球)に入ったぞ、と思った」


【A】田淵のバッティングの極意は、インパクトの瞬間だけ力を入れて、
振り出しやフォロースルーは力を抜くことにある、と語っていた。

しかも、ボールを叩く位置に特徴があり、その結果ボールにスピンがかかってフライが遠くに飛ぶ、要するにホームランだけを狙ったような打撃が完成したのだろうけど、よく直されなかったものだ。

大学次第、それまでの通算ホームラン記録が8本だったのを22本に更新したという圧倒的な数字がモノを言ったかな。
それと、王の活躍でホームランの価値が高まっていたのかも知れない。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

谷沢と星野

AvatarA現役時代から谷沢と星野は犬猿の仲と言われていた。
谷沢のYOUTUBEで星野とのエピソードを語っていたが、そんな印象は全く受けなかった。

谷沢が現役引退を決めた1986年のオフ、谷沢は現役を続けるつもりだったが、球団からこう言われる。
「来期の新監督の構想に君は入ってない。
だが、年俸40%OFFを呑むのなら、現役続行させてもよい」
チーム生え抜きの功労者に対し、馬鹿にした話だ。
普通なら「馬鹿にするな」と決裂するような話だが、谷沢は中々結論が出せず悩んだようだ。

そんな中、星野から電話があり会った。
星野はこう言った。
「俺は来年監督になるが、谷沢監督なら谷沢選手は使えるか?」
それを聞いた谷沢はその場で中座し球団に電話して引退を伝えた。
結構シビアな話だが、谷沢は淡々と語っている。
星野に対し、含むところはないと感じられた。

谷沢のYOUTUBEを見て感じるのは、言葉の裏を読んでいない素直な性格だな、ということ。
星野は、言葉の裏を読んで駆け引きするタイプだから、正反対だ。
二人にそんなつもりはなくても、周囲が「仲が悪い」と感じたのは、そんなところが原因かもしれない。


【A】「俺は来年監督になるが、谷沢監督なら谷沢選手は使えるか?」
それを聞いた谷沢はその場で中座し球団に電話して引退を伝えた。

その年の矢沢の成績はどんなもんだったの?守備力を含めて。



AvatarA
wikipediaによると最後の3年は、
1984年(37歳) 130試合、505打数166安打、34本塁打99打点 .329
1985年(38歳) 104試合、360打数104安打、11本塁打47打点 .289
1986年(39歳)  94試合、220打数 60安打、13本塁打35打点 .273

守備力の印象はないけど、一塁手だから守備は重要ではない。
打撃から見ると十分戦力になる成績だ。
ただ、1986年のオフに落合を獲得している。
これが大きかったのかな。

テーマ : 中日ドラゴンズ
ジャンル : スポーツ

プロフィール

spacecowboys A H

Author:spacecowboys A H
Space Cowboys は、2人の親父です
"A" システムエンジニア・
   中日ファン・世情に疎い
"H" 総務畑・てっちゃん・
   阪神ファン・雑学が得意
2人ともイーストウッド好きの還歴男

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